日本語の会話の特殊性

ある人が誰かに何かを話すとき、印欧語族を使う人間は自分が他者にダイレクトに話しかけていて、コミュニケーションは基本的にこの二人の間だけのものなのだが、日本人の話し方は、相手に直接話しかけているというより、そこにいない誰かに話しかけているような感じがする。


その誰かとはおそらく世間一般のことであり、会話は二人がお互いに直接言い合っているのではなく、世間一般に対してスピーチしているのであって、聞き手はその一般大衆のうちの一人として聞いているということになる。


世間一般に対してスピーチをしているのだから、話し手の話し方は当然、常識的で曖昧なものになる。話し手は聴衆の一人である聞き手のプライバシーに深入りすることはない。聞き手は話し手の言葉を世間一般のフィルターを通して間接的に聞く。


英語の会話は主観的な話し方、聞き方であるが、日本語の会話は客観的な話し方、聞き方である。英語での会話は話し手と聞き手がそれぞれ相手に対して責任をもつのだが、日本語での会話は責任は世間にあり、話し手と聞き手は世間に対して責任を負っているのだが、お互いに対しては無責任になる。