英語を学ぶのはアメリカ人やイギリス人と話すためではない。

ほぼすべての英語学習者が勘違いしていることに、”英語を学ぶのはイギリス人やアメリカ人と話すため”だと信じているということだ。はっきり言って、イギリス人やアメリカ人は自分と同じようなバックグラウンドを持ち自分と同レベルの英語レベルを持つ人間としか日常的に話すことはない。日本人だって同じことだろう。外国人と話すのは一時的な好奇心だけで、すぐに話題がなくなったりして、興味が無くなる。また、外国人の男が日本人の女に親しげに近づいてくる場合、9割は専ら性的なインセンティブによる。セックス以外には、あなたの精神性や性格には興味はないのだ。セックスがなければ興味などないことは、男同士や女同士(ゲイやレズビアンは除く)で日本人と外国人が一緒に歩いていることが極端に少ないこと見れば明らかだ。いずれそれを自分で見抜けない女は、知的に劣っていて、生存競争で淘汰される運命にある。


英語の話に戻すと、おいらはバイリンガルだ。英語のボキャブラリーは、アカデミックな分野(自分の興味範囲)に限れば、ネイティブなどよりも豊富だ。スラングや慣用表現などは彼らの文化と密接に関わっているため、彼らの方がおいらよりずっと多く知っているだろう。だいたいにして、おいらは彼らのスラングや慣用表現などを一一覚えるのは、劣等コンプレックスの裏返しだと考えているから、そんなもんは覚える必要はないと思っている。


おいらも最初は英語を学ぶのはイギリス人やアメリカ人と話すためだと思っていた。そして、外国で経験を積んだり、精神的に成熟したりするにつれて考えが変わった。
英語を学ぶのは、海外(どこでも良い)で他国人(何国でも良い)とコミュニケーションを取るためである。おいらはタイに住んでいるが、こちらにもアメリカ人やイギリス人の「ファラン」はたくさんいる。英語は彼らと同等程度に話せるが、おいらは基本的には彼らと話さない。言葉は通じるのだが、考え方やバックグラウンドが親友になるには決定的に異なっていると感じるからだ。なので、おいらはタイ人や他のアジア人とは英語でよく話す。彼らの英語がネイティブのそれに劣っていても、考え方やバックグラウンドや人種が近いため、コミュニケーションを取るのが容易だからだ。それに、彼らとは遺伝子的に近いため、セックス抜きで正当な信頼関係を築くことができる。